哲学的?なことを考えると頭がよくわからなくなってくる。最初に浮かんだ考えを途中で忘れてしまうし、最後には全然違う考えに変わってることもある。なので文字にすることにした。

死という話題は話しにくい雰囲気がある。
私はなんとなく、その場の雰囲気がしんみりというか逃げがたい感じがするからかと思っている。

私は私の感覚しか知れないので、時間を共にしてくれる人との時間は相手にとって楽しい時間なら良いなと思っている。

もし、その感覚が他の人にもあるなら、死の話は避けるだろう。故人を懐かしむような話なら避ける必要はないと思う。話せてよかったと円満に終われるなら。死について楽しく語れるなら

それ以外で口にすることは私は避けるだろう。
聞かれれば、死について話すことは特に気にならずできるけど、あくまで当り障りない程度にしている。それと、返す内容は相手によっても変わる。

面白おかしく話すならいくらでもできると思う。不謹慎の程度は詳しくわからないけど、一般的にモラルから外れない程度に
雰囲気が重くならないように。

雰囲気が重くなるのを気にするのはやはり相手が気になるからだと思う。
死は世間的に良くなさそうなイメージがある。怖いイメージもあるのかもしれない。
もし相手が死を怖がっている様子があるなら、重く話すのは避けた方が良いと思う。死についての話と関連できるかわからないけど、幽霊や怖い話が苦手な人に無理に話を聞かせる必要はない。
ニュース等で知る死を悼むことはあっても、それを自分たちに巻きつけることはない。

私は死を密接に感じることは精神衛生上良くないと思っている。

死というか、悲痛な感覚を受けとるというか。死に至る経緯を感じるのは結構きついだろうなと思う。

何を話すかわからなくなってきたけど、なんと言うか、私が話題にしづらいと考えてるのは死そのものじゃなくてそれに付随する経験だとか感覚のことだ。

死の概念なんて哲学的にも生物学的にも話す人も考える人も比率的にそこまで多くないと思うから、死の話なんて。ていうのはよっぽどネガティブな話をしているか、気分が下がる話になってるのだと思う。

気分が下がるといえば、仕事からも世間からも外れて楽しい時間を過ごそうとしてるなかに、殺人事件やら自殺やらの話をされては困る人はいるだろう。
そういった事件から話が発展することはあるけれど、それは非日常な話ばかりになると思う。
そうなれば記憶にこびりつくこともなく結局は話したとも言えないんじゃないかと感じる。

記憶に残るなら良いというわけじゃないけど、記憶に残るレベルの話を聞いたなら確実に脳なり気持ちなり動かされてるはずだから、そのレベルなら拒否反応が出るのもおかしくないと思う。

幽霊の話で心拍数や肌の感覚や脳が乱されるのは嫌だろうし、死の話を聞いて自分の死に様を鮮明に想像してはキャパ超えするだろうし
死にたいと思っている。と告げられては困惑と悲痛な感覚に脳が乱されるだろうし、その相談は世間体からも倫理観からも感情からも逃げるのを許さない。

私は、死にたいと思っていると誰かに言われたら、話を聞くだろう。その考えに至る経緯に苦しそうだと思うだろう。専門家への受診を勧めつつ、私にできることはないかと思うだろう。生活を進めながらそれを思い出し考えるだろう。

そう考えてしまえば、死について話そうとは思わなくなる。

局所的に言えば、死にたいという能動的な言葉について。


何を話してるのかわからなくなっていたけど、結局考えていたのはそのことだと思う。死を話題にする上で気になるのは死に付随する経験や感情だ。死の概念について気にしている人はきっと少ない。ほとんどの人は死は死だとわかっていると思う。

それを考えたらなんとなく、死の話を拒む人は他よりも死について考えたことがある人なんじゃないかと思う。